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インプットとアウトプットをしよう

どっかで読んだことですが、創作力をあげるためには
適度なインプット(新しい情報や知見を取り入れること)と
適度なアウトプット(得た情報を整理したり、自分独自のものに組み換えたりして、他の人に伝わる形に再構成すること)
が大事だと言います。

触れた作品を見流し聞き流し消耗しているばかりではだめだし、
自分の中にあるものだけでずっと作っていてもだめだというわけです。
バランス良く取り入れ、発信することが創造性を引き延ばしていく方法の一つなのだとか。

というわけで僕はアニメを観る!
みなさんは今期はアニメ何を観てますでしょうか?!
僕は今期はささみさん@がんばらない はがないNEXT たまこまーけっと 石田とあさくら みなみけただいま AKB0048NextStage まおゆう あいまいみー ヤマノススメ 俺修羅 ぷちます GJ部 琴浦さん ちはやふる2期を観てます!!継続で マギ サイコパス ロボノ さくら荘 DT リトルバスターズ! JOJO 新世界よりも観てます!!

(お気づきだろうか・・アウトプットより・・インプットの方が圧倒的に多いような)
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駄無ー

(2016年01月08日)
なんという駄文ぶろぐ
まあこれらの文章なんのために書いているかというと、自分の整理のためでもあるので
自分の変遷の記録としてはまあ多少の価値はあると思っている。
けど制作打ち込めるようになったら(それは諦めていない)
この辺の雑文記事は目につかんところに吹っ飛ばしたい。

今はまあ今、そういう時期ということで焦らずに弓を引き絞る段階ということに。
ネガティブ記事でひたすら負に染まることで、浄化されることもあるし、
気持ちが前に向いてくれば・・自然と余裕も生まれるはず。

この前ヘレン・ケラーの映画がTVでやっていたのをたまたま見ていたのだけど
彼女の名言がなかなかに響くものがあった。

幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。
しかし、私たちは、閉ざされた扉をいつまでも見ているために、せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです。



視覚と聴覚がなく、家族に持て余され・・甘やかされ、野獣のように勝手気ままに生きてきた彼女が
サリヴァン先生と出会い、人の英知に触れることができるようになった。
しかし、最初はそれまでの自分の安住の城、生活を破壊され一変させられたのだから、恐怖と絶望にも等しいことだったろう。

人が変わる、ということは、歳を重ねるほど難しい。人を変えるというのも同じく難しい。
自分の生き様や、信条や正義、そういったものが形成されてしまってからでは、
それを他人に否定されたときに、大きな反発になってしまう・・。

自分は今、閉じかけた扉を見つめて、それをまだ諦めずにこじ開けようとしているのかもしれない。
ヘレンの生い立ちと、この格言からすれば、そんな例えがぴったり当てはまるようにも思える。
もしかしたら今の自分の"夢"はきっぱり諦めて、現実を堅実に生きるべきなのかもしれない。
そこに新しい幸せの扉は開いているのかもしれないのだから。

けれど、そんな簡単に諦められるものなら苦労はない・・。そんな考えつまらない。
文化やエンタメを追い求めることは楽しく、素晴らしいことだと思っている。
生活や経済的なことに振り回されて、それらが失われていくなんて・・かなしい
結局のところ足掻けるだけは足掻き続けるんだろう。それが良いあり方だと今は思う。

結局なー

(2016年01月01日)
制作全然できてませんねこれ・・
年末でひさびさにまとまった休みがあって少し落ち着けているので、
この機会に自分を少し顧みてみようと思う。

やっぱどんな環境だろうと、これしか道がないってくらい本気なら
仕事しながらでも夢を両立できる方はいるんじゃないかと思うけども

現状、仕事頑張った→消費趣味でだらけるサイクルが完成しつつある
ある意味、充実しているともいえる。
創作というのは実のところ創作者が充実しているとあまり進まない・・。
(ビジネスではない)創作物は心の余暇から生まれるのだと考えているので・・

本音のところでは本当にやりたいこと(趣味でのゲーム制作)を棚に上げて
なにゆえ仕事してるのかという心の不満のようなものはあるが、
それが血反吐はいてまで創作活動に打ち込むみたいなエネルギーに転化されることはない

こうしてたまにまとまった時間があると、より強く思う。
ゲーム作りたいし、絵も描きたいし、ブログもまとめたいし、ゲーム遊びたいし、
・・時間いくらあっても足りないくらい、時間がない。時間を上手く使えない
限られた休み、限られた時間だと思うほどに、それを創作に当てる時間にはしにくい。
時間(何ものにも束縛されない、目標を達成しうるだけの大きな暇)さえあれば、何かを作れるはずなのに、と。
頭のリソースをそれだけに割きたい。
要約すると、現状・仕事と創作を両立するのは無理!

幸か不幸か、仕事場での人間関係は良い方向で築けているように思えるので、
そうなると簡単に断ち切れるものでもなくなってしまうのかもしれない。

やっぱし働くんじゃなかったなー
まぁこれは働く経験をしたからこそ確信めいて得られた観点ではあるけども。
もう自分も若いとさえいえなくなってきてるんだろうけど、
若い時は夢追い人でもいいんじゃないかと。
それで失敗して、後悔する人生になったとしても、それも一局。
ろくでなしの考え方だろうけど、そういう性分だとしたらしょうがないのでは。

抑圧されて、「仕事が忙しくて創作する暇がないんだ、ほんとはできるねんで?」
って言い訳して生きているみたいで、そんなんなるんじゃ嫌だな。

人は一人では生きられないということを感じながらも、
結局、誰かに助けられたいわけでもないし誰かを助けたいわけでもない。
 ・・結果的に誰かが救われることがあるならそれは良しとは思うけども。
他者に干渉したくもなければ、他者に干渉されたくない。
社会性の欠如、独りよがり、自分て・・そういうものでできている。

子供のころに雑用や事務的な役割をあまり与えられずに育ってきたせいか、
ただただ文化的なものに囲まれ、それを享受するばかりに意義を見出すようになってしまったのかもしれない。
仕事の中にも意義を見出そうとはしているものの、
仕事は仕事である限り、雑務であり責任であり、拘留される時間であるから、
なんとも無意義なものに思えてしまう。まさに仕事である。

それを成したとして、直接的な対価は金銭であって、それ自体に社会的価値があるとは限らない。
それどころか、一部の人から搾取するために、他者の幸福を奪う"悪"を増進させている可能性すらある。
会社というのも結局のところ、独りよがりなのだ。
しかし会社という組織に所属する限り、その流れに逆らうこともなかなかできない。
組織の利益という大きな目標の前には、個人の主義主張は小さくしぼむ。これが協調性。

別に悪いことをしているつもりはない。
一丸となって人の役に立つシステム開発をしている。
それに伴う問題や課題を想像し、結託し、知恵を絞って諦めず解決に導き、遂げる。
立派なことだと思う。優れて、懸命な人たちが日々努力し、労力を注いでいるのだ。
けれどそれが例えば、パチ屋の業務システムだと自分はどこか無益なものを感じてしまう。

拭えぬ不安感

(2015年05月02日)
このブログではゲーム創作に関する面白い情報をお送りしていこうと思っていたのになんだかそれができなくなってて残念な限り・・
それでも鬱憤をため込むのはよくないらしいので、吐き出すところがないといけないみたい
(そしてどうもこの自分の抱えている不安感や鬱憤というものは創作趣味に少なからず起因しているように思えるので)

PCが少し前からブルースクリーンを頻出するようになって、買って3~4年というくらいだったのだけど新しいPCに移り変わりました。
できれば原因を特定して直したかったのだけど、何かをやっている最中に急にBSODは心臓にも悪く気持ちが荒れるので
ゲームやるのに問題ない程度の最低限スペックのPCを注文して現在はそれになりました。
文字がどうも前のものよりにじんで見えるのが今気になってしょうがなかったり、移したファイルの管理者権限がないとかで開けなかったりと不安満載ですが、だいたいは引っ越しすることができました。

社会にでたりそんなこともあったりと環境が一気に変わったせいか、ここのところ妙に不安感を覚えてしまっていて
特になにがあったわけでもなく、なにをしているわけでもないのに気持ちがざわついたりして落ち着かない日々・・
ゴールデンウィークに入って少し落ち着けると思った今でさえ、心が穏やかという感じになれない。

その不安の原因は、昼夜逆転していた生活リズムを真逆に強制的に戻したせいで、無理がでて神経的に不安に駆られるようになってしまっているのかもしれないのですが
今までのんきにゲーム作ったりとかカードで遊んだりということをしていたのができなくなったこと・・
・・それは単に時間だけのことじゃなく、遊びとか楽しみといったことから気持ちがだんだんと離れていっているように思えることにもあるようです。
極端な話をいえば、昨日頭に思い描けていたアイデアが、次の日にはまったく思いつけなくなっていた・・みたいに
少し前は最高に面白いゲームが作れそうな気分でいたのが、もうそれは時間が経てばできなくなっていくんだろうかという気持ちが、とても寂しく思えてしまう。

脳細胞というのも日々死んで生まれ変わって・・昨日の自分と今日の自分は構成物からして別物になってしまうと言います・・
ああもう数か月前の自分は死んだのかもしれません

創作はもっと・・ ああ暇だなー なんか作るかー的な気持ちで、何かに追われることなく縛られることなくやるほどにいいものができると思うのですが
作りかけのBucketMontageもちゃんと新しいPCで引き継いで作れるのか・・どこかでデータの劣化があって不具合を起こすのではないかという心配もあったりして、なんだか心配ばかり
ゼロからの出発ほどそこにはなんの足場もないけど、気兼ねなくできるんですよね 絵を描くときとかもそうでした
その境地を見失ってしまっていて、しがらみや規則によって自分のペースを奪われてしまっている最近です

その後

(2015年04月23日)
拍手コメントくれた方ありがとうございます
ああー・・何の束縛もなくただゲームを作ることだけに執心できるような状態になりたい
……という鬱積を溜めつつも今はなんとか妥協できる形でやっております。

仕事はなるべく角を立てないよう、着実にこなしていきたいとは思いつつ、
周囲の人間とある程度本音で話せるような関係にもなってゆきたいです。
利害関係や仕事のできるできないやそれぞれの価値観やらで、なんとも社会人に求められる距離感というのは面倒に感じてしまいます。
仕事はただ仕事でお金を稼ぎに行っているにすぎず、それ以上の価値はない・・という風に割り切れれば楽そうなんですが、
そう簡単に割り切れない(対話能力を求められる)ので、コミュニケーションしないとならない。
そうなると、表面上だけで会話しているのは疲れるので素をだせるようになりたいのです。

でも我を出せば出すほど、出る杭は打たれる。傷つきやすくもなります。
我を封じすぎて、会話の手ごたえがなく無愛想なやつだと思われれば、それもまた不利益を被ることでしょう。

社会人、お金、仕事、こういったワードにくるめられると、その環境では些細なことでもちくちくとささるように気持ちに棘が食い込んできます。
何か指摘をうけるたび足者がぐらぐらと崩れ去るかのように根底から自分の居場所が、やってきたものが価値を失ってみえてくることもあります。
人と話すのは楽しいことでもあるのに、どうしてだろうかこんなにも疲れてしまう。気をすり減らしてしまうのか。
自分の存在感がなんとなく不安定・・

浅はかでしたわ

(2015年04月07日)
仕事を始めたら何の余裕もなくなってしまいましたわ。
心はつねに気を遣い削られて、時間もいうまでもなくない。
朝起きて出勤して、帰ってきてご飯食べて風呂でも入れば多少残った自由な時間は疲れて帰ってきたあとの1時間かよくて2時間程度・・
それを実感するたびため息ばかりがでて、鬱屈した感情が少しずつ積み上がっていくよう。

自分が求めていたは、穏やかな精神と心の余裕だった。
労働をし、地に足をつけて、そこでやっていけば生きることにまずは不安を持たずに居場所を得られるであろうと。(所属的欲求)
でも実際は仕事関係のために精神をすり減らし、時間を無駄にし、失うものばかりだった。

すっぱりやめます!といえればどんなにかすっきりするだろう、けれど手続きやらなにやらまだ整えている最中。
それに仕事という仕事に向かっているわけでもない、研修の期間といったところ。
でも誰にも自分の価値観の少しも理解されないまま、このままずるずると不満だけを募らせてやり続けるのはあまりにも苦しみに思える。

自分が求めているもの(精神の穏やかさ)と会社の求めているもの(お金や能力をより向上させ、仕事を増やすこと)にギャップがあって、
給料が減っても時間をもっと自由に使いたい、そういう柔軟なやり方はないんだろうか?みたいな考え方をしてしまう。
プレイベートの自由な時間をもっと使いたいのに、そんなことをいきなりいえる立場でもないし、
会社主義の人間にとっては自分の意見は理解されないようのも思える。

ゲームをつくる夢はぼくにとって、少しずつ大きなものになっていって、ここで経験の多くを込めた新作を作り上げたいという願いが何度も悔やまれるけど、
あっさりと社会の波に呑み込まれて捨てざるを得ない、その程度のものだったのかもしれない。

やりたいことも捨て去って、機械のような応対を徹底されて、定型文で会話や連絡のやりとりをし、これが当然の社会人だという価値観を強要され・・いつか価値観をぶつけて話を聞いてもらえる程度には発言権をもてるだろうか・・?
今はそんなこといえないだろうけど、ずーっと不満ばかりかかえて過ごし続けているのも嘆かわしい。
やめたいやめたいいったところで結局やめることもできず、惰性に引きづられ・・夢にも挑戦することもできずに縛られてしまうのも憐れだなあ・・

「ずっとニートマンでゲームだけつくってりゃよかったんだ」  それが素直な心境だった。

とにかく今の生活が心に何の余裕も生まれない。自ら選んでしまった道ながら失敗したという気持ちが強い。
例えるなら「飛んで火に入る夏の虫」、自ら禍に飛び込んで行ってしまった愚かな自分だったと呆然した。

近況

(2015年03月18日)
実は学生時代も残りわずかとなり就活やらなんやらに追われる身でした。
可能な限り時間を持て余す生活を求め続け、ネットで過ごす趣味の時間に傾倒していった成れの果て、
こんな自分では毎日のほとんどを仕事に費やすなんて生活は耐えられないのではないかと、拒絶感に溢れていました。
将来に対する漠然とした不安や焦燥の中で、ただただ創作に打ち込んでみたいという望みも捨てきれず、

「嫌々働かなくたっていいじゃないか、好きなことをやり続けてもしそれが周囲に少しでも認められたなら、それでやっていけるかもしれないじゃないか」

そんな希望にすがるように、ゲーム創作を自分の最後の砦のように、
ある意味では支えに、ある意味では逃げ場のように思っていたのかもしれない。

しかしそんな煮え切らないもやもやした気持ちの中では、心の余裕も生まれず、作業もあまり捗らないのだった。
創作活動を使命感や、自分の居場所を得るためや、何かの理由にしてしまっては自分の場合うまくいかない。
純粋に楽しそうだからやってみたい、という気持ちのときが一番良い感じに作れる。

なのでこの焦燥感も嫌だったし、単純に時間を奪われる働くことも嫌だったしで、もはや無気力化してしまい、
なるようになれというような半ば諦めの念を持って、アニメやらを延々観続ける日々を送っていた。

とはいえ学校で行う説明会やらにポーズだけでもと思って行っていたら、だいたいは一次落ちばかりしてたのだけど
年明けてのギリギリになってから、なんだかんだで採用が決まったのでした。

小さな規模の会社でゲーム関連ではないけども、近くでシステム開発系の仕事なので、
ゲーム制作で培った経験をある程度活かせるかもしれないというところです。

あとは環境の変化に慣れて、落ち着くことができれば趣味にも時間を費やせるようになるかなぁ、と一縷の望みをかけて・・。
仕事に追われ、そんな余裕もなくなってしまうかもしれないという怖れもあり・・
自然消滅的に創作クラスタ卒業ということにもなりそうで、そうなるとしたら寂しくもある・・。
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