(2016年01月08日)
なんという駄文ぶろぐ
まあこれらの文章なんのために書いているかというと、自分の整理のためでもあるので
自分の変遷の記録としてはまあ多少の価値はあると思っている。
けど制作打ち込めるようになったら(それは諦めていない)
この辺の雑文記事は目につかんところに吹っ飛ばしたい。
今はまあ今、そういう時期ということで焦らずに弓を引き絞る段階ということに。
ネガティブ記事でひたすら負に染まることで、浄化されることもあるし、
気持ちが前に向いてくれば・・自然と余裕も生まれるはず。
この前ヘレン・ケラーの映画がTVでやっていたのをたまたま見ていたのだけど
彼女の名言がなかなかに響くものがあった。
幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。
しかし、私たちは、閉ざされた扉をいつまでも見ているために、せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです。
視覚と聴覚がなく、家族に持て余され・・甘やかされ、野獣のように勝手気ままに生きてきた彼女が
サリヴァン先生と出会い、人の英知に触れることができるようになった。
しかし、最初はそれまでの自分の安住の城、生活を破壊され一変させられたのだから、恐怖と絶望にも等しいことだったろう。
人が変わる、ということは、歳を重ねるほど難しい。人を変えるというのも同じく難しい。
自分の生き様や、信条や正義、そういったものが形成されてしまってからでは、
それを他人に否定されたときに、大きな反発になってしまう・・。
自分は今、閉じかけた扉を見つめて、それをまだ諦めずにこじ開けようとしているのかもしれない。
ヘレンの生い立ちと、この格言からすれば、そんな例えがぴったり当てはまるようにも思える。
もしかしたら今の自分の"夢"はきっぱり諦めて、現実を堅実に生きるべきなのかもしれない。
そこに新しい幸せの扉は開いているのかもしれないのだから。
けれど、そんな簡単に諦められるものなら苦労はない・・。そんな考えつまらない。
文化やエンタメを追い求めることは楽しく、素晴らしいことだと思っている。
生活や経済的なことに振り回されて、それらが失われていくなんて・・かなしい
結局のところ足掻けるだけは足掻き続けるんだろう。それが良いあり方だと今は思う。